それ以上でもないし、それ以下でもない
自分に与えられた時間は
限りなく有るようで
限りなく無いに等しい。
まだ幼い頃の話し。
近所の公園の箱ブランコを
勢いづけて、ガッタンガッタンと揺らす遊びが流行っていた。
友達の誕生日会の日だった。
その誕生日会に集まっていた友達みんなで
ガッタンガッタンやっていた。
僕はいいところを見せようと、
勢いよく箱ブランコを揺らしていた。
でも幼い子供の手は小さかった。握力もなかった。
手を滑らせた僕は地面へ落下した。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
むくっと起き上がろうとした瞬間、
箱ブランコが僕の後頭部を直撃した。
その後、箱ブランコから離れようと
匍匐前進を少しした。
前方から、大人の女の人が
慌てた表情で僕の方へ走ってくる。
目が覚めた時には自宅のベッドにいた。
僕は気絶していたのだ。
頭に包帯がぐるぐる巻かれていた。
あの時、公園にいた大人の人が、
病院に連れて行ってくれたのか、
救急車を呼んでくれたのか、
その時の話しを忘れてしまったが、
とにかく病院に連れて行ってもらってから自宅へ戻っていた。
今考えると、相当なラッキー坊やだ。
勢いづいた鉄の塊が後頭部を直撃したのにも関わらず、
たんこぶ程度で済んだのだ。
なんという悪戯だろう。
あそこで死んでもおかしくなかったと思う。
または脳が損傷してもおかしくないくらいの衝撃だったと思う。
あたりどころが良かったといえば一言で済んでしまうけど、
なんだか大きな力に守られた感じが否めない。
自分は生かしてもらったんだという感覚。
そういう経験はきっと誰しもあると思う。
僕は何度かその後もそういう体験をした。
いってしまえば、僕は相当ドジだ。
でも今現在も元気に楽しく生きているということは運が悪い以上に運がいいと言える。
そういう体験を経て、
自分に与えられたこの命、自分に与えられた時間を全うしてやろう
という意識が強くこの胸の内にある。
では自分に与えられた時間はどのくらいあるのか。
この命が燃え尽きるのはいつなのか。
改めて考えてみると、
うん。全く分からない。
自分に与えられた時間は
限りなく有るようで
限りなく無いに等しい。
だからどうしたと言われればそれまでです。
それ以上でもないし、それ以下でもない話し。