苦みを笑え
自分にいったい、どこまで、何ができるのか。
確かめながら、挑戦しながら、模索しながら、今までやってきた。
これでだめならそれまでだ。仕方がないと、そこまでの人間だったのだと、
そこまでの才能だったのだと。
そんな思いが常に自分の中にあって、危機感というのか、
あきらめなのか、こだわりなのか、自分に対する不信感と自信の間で彷徨い続けながら
こうして今も、生かしてもらっている、踊り続けている。
未来に対する不安もある。期待や希望もある。
でも、圧倒的に後者への意識が強い。
その意識の源は周りにいる仲間、家族の存在が大きいと感じる。
小さな頃から「成功願望」があった。
今は少しその形が変わってきている。
なにをもってして「成功」なのか。
そういうことを考えてしまう自分は、
凡人なのだろうとも思う。
人知れず、ただ自分の描く理想像をこころの中で
描き続けることをやめないできた。
遠回りと言えば遠回りだ。
でも経験や体験はなにものにも代え難い宝物。
世間一般でいう富や名声ということではなく、
どれだけ自分の人生において、
挑戦すべきときに挑戦することができたか。
勝ち負けよりも、その点が重要なのではないかと、
今、思っている。
成功とはなんなのだろうか。
自分ひとり良ければそれで良いとは決して思わないけれど、
結局、死に際に何を思うか。
後悔のない人生なんて無いと思うけど、
どれだけ、自分の気持ちに正直に生きることができたか
ということが大事なのだと思う。
30年。
親父や母さんは倍近く生きている。
僕のおじいちゃん、おばあちゃんは倍以上生きている。
時間の重み、かけがえのない瞬間の積み重ね。
日常が「普通であること」の輝き、素晴らしさ、幸せはいつも自分の
こころの中にあること、
それも分かる。
でも成し遂げたいことがある。
叶えたいことがある。
挑戦し続けなければ手に入らないもの。
それはいわゆる「普通」を越えた先にあること。
あぁ、
まだ何もできていない。
いつもこの場所にいる。
そう思いながらも、
少しづつ変わりゆく
フィールドを感じつつまた、
人知れず、ただ自分の描く理想像をこころの中で
描き続ける。
自分にいったい、どこまで、何ができるのか。
この問いがやむ時は訪れるのか。
今日はとことん、根暗でクサい文章を綴ってしまっているけれど
からだの状態、こころの状態なんて不安定で当たり前。
日々細胞は生まれ変わる。
今現在の状態を確認する上でも、
たまにはこういうのもいいのでは
なんていつもの都合の良い解釈に半分あきれつつも、
残り半分はやっぱり本気なのだ。本音なのだ。
弱さは強さになり得るし、
強さは弱さに成り得る。
たくさんの矛盾を抱え、
この表裏一体のこころとからだに興味は尽きず
踊りという深淵なる表現に出会えたことに感謝。
踊りを通じて出会えた人々、景色、感情に感謝。
「きっとあさっても苦悩する I’m Private Army.」
というBOSS THE MCのリリックがふと現れる。
さあ、これからが勝負です。
いつだって、いまから、ここから。
描き続けることを死ぬまでやめません。
て、
なんの宣言なのだろう。
支離滅裂なひどい文章ですね。
明日に備えて眠るとします。
せめて眠る際にはリラックスを。
最高のイメージを。
眉間に太陽と蓮の花を。
身体を包み込む月の光を。
すべてに感謝を。
おやすみなさい。